大村の偉人




石井 筆子(いしいふでこ)

 女性の人権確立を目指し、大日本婦人教育会の設立に尽力。アメリカで開催された万国婦人大会には、かつて華族女学校(後の学習院女子部)のフランス語教諭時代に同僚だった津田梅子(津田塾大の創始者)とともに、日本代表として出席しました。帰国後、日本最初の知的障害児教育施設である滝乃川学園の創始者・石井亮一と結婚し、障害児教育に生涯をささげました。


長岡半太郎(ながおか はんたろう)

 慶応元年(1865)生まれ。東京帝国大学理学部。大学院を経てドイツのベルリン大学へ留学。 磁気学、地球物理学、原子構造論などで世界的な功績を挙げ、最初の文化勲章を受章しました。 大阪大学初代総長、日本学術振興会理事長などを歴任しました。



長与 専斎(ながよ せんさい)

 天保9年(1838)生まれ。大阪の適塾や長崎の医学伝習所で医学を学び明治に入り 長崎医学校の学頭に就任。その後遺欧視察団に参加。帰国後、内務省衛生局の初代局長となり、 近代医学の普及に努めました。「衛生」という言葉は、専斎によって命名されたことで知られています。



楠本 正隆(くすもと まさたか)

 天保9年(1838)生まれ。幕末の大村藩士。維新後長崎府の政府役人を経て新潟県令に。 県令時代、民意をくんだ県政に実績を残し、第四国立銀行を設立。その後東京府知事や 衆議院議長を歴任。男爵。
 大村市内にある正隆が建てた武家屋敷は、市指定文化財「旧楠本正隆屋敷」として一般公開されています。


荒木 十畝(あらき じっぽ)

 明治5年(1872)生まれ。日本画家。近代の日本画壇を率いた人物として 横山大観らと並び称されています。日本画会幹事。



長岡 安平(ながおか やすへい)

 長岡安平は、明治から大正時代にかけて、東京の芝公園はじめ全国各地の公園や庭園の設計、街路樹苗木の育成、史跡名勝天然記念物の保存に尽力した人物です。



渡辺 昇(わたなべ のぼり)

 大阪府知事、会計検査院長などを歴任。大村藩士として、幕末の倒幕運動に活躍しました。長州の桂小五郎とは「練兵館」で兄弟弟子で、桂の後を託され師範代を努め、日本を代表する剣客の一人として知られています。


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